万里の長城(ばんりのちょうじょう、チャンチェン)は中華人民共和国にある遺跡。ユネスコの世界遺産(文化遺産)。河北省山海関から、甘粛省まで至り、総延長は6,352kmに及ぶ。その大きさから「月から見える唯一の建造物」とも言われていたが、2004年12月8日に宇宙空間から肉眼で観測することはできないと中国科学院により否定された。しかし、その後国際宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士が一般的なカメラで撮影したところ万里の長城がはっきりと写っていた。これは天候条件がそろっていたためと思われる。
一般に長城を作ったのは秦の始皇帝だと認識されているが、現存している「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。戦国時代から趙などは北の異民族に備えるために長城を建設していた。また北に備えるだけではなく戦国七雄の国境間にも長城が作られていた。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのである。この時の長城は土製であり、馬や人が乗り越えられなければ良いということで、それほど高い城壁ではなかったという。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は朝鮮半島に及んだ。 前漢の武帝は匈奴を追って領土を拡張したので、長城は西の玉門関まで拡張された。その後の五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、北魏は南よりの現在の線に新しく長城を築いた。 五代十国時代の936年に長城の重要な防御拠点である燕雲十六州を後晋が遼に割譲し、これにより長城による北方民族の防御は困難になった。そのため、その後の北方民族・契丹の建国した遼、女真の建国した金、モンゴル人の建国したモンゴル帝国は、難なく長城を越えて侵入し、中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれた。南方から興った中国人の王朝である明がモンゴル人の王朝である元を北方の草原へ追放すると、元の再来に備えるために明は長城を強化し、ようやく現在の形になった。よく「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われるが、実際は草原の中に建っている。これは元の時代に北方の草原と南方の農耕を一体とした社会・経済が成立し、明も自国内でそれを実現すべく北方への勢力拡大を行なっていたからである。そのため、北方民族も南方の農耕民族の物産を必要としており、長城沿いに交易所がいくつも設けられた。ただし、交易はいつもうまくいっていたわけではなく、北方民族側の思うとおりにいかない場合もあった。その交易を有利にするための威嚇として、明の力が弱い時期に北方民族は長城を越えて侵入を繰り返す。 明末に満洲族(女真)が勃興し後金を建国すると、明との間で長城の東端を巡り死闘が繰り返された。後金は明に対して有利に戦いを進めるも、名将袁崇煥に阻まれ長城の東端の山海関を抜くことができなかった。しかし、袁崇煥は後金の謀略にかかった明の崇禎帝に誅殺された。その後明は李自成に滅ぼされ、後金から改名していた清は明の遺臣の呉三桂の手引きにより山海関を越え、「清」の中国支配が始まった。 現在、中華人民共和国政府は重要な歴史的文化財として保護し、世界遺産にも登録されている。世界有数の観光名所としても名高いが、地元住民が家の材料にしたり観光客へ販売したりなどで長城のレンガを持ち去り、破壊が進んでいる。また、長城がダム工事により一部沈んだりもしている。長城周辺の甘粛省や陝西省は中華人民共和国でもっとも貧しい地域の一つで、当局は対策に頭を悩ませている。 2006年4月に行われた中華人民共和国の学術団体「中国長城学会」の調査によると、万里の長城が有効保存されている地域は全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告がされた。
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